この国の日本語での正式名は、ベネズエラ・ボリバル共和國。
仮にそうであれば、実際にベネズエラに行ってみると確かに雨量も多く幾つもの大河があった。
もう一つは、グランサバンナにあるソロンパンテプイ(眠る人という意味だそうである)の麓にある、満天の星空と異様な景観を見ることができるカバナヤン村へ。
そこに位置するオリノコ川は 、全長が利根川の6倍に相当する 2500㎞で、アマゾン川ラプラタ川に次いで南米大陸では第三の大河。
北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコを総称して「マグレブ」と呼び、それは「陽の沈むところ」という意味だそうである。 その「陽の沈むところのチュニジア」へ、「陽出ずる国の日本」からパリ経由で行ってきた。
チュニジアの国土は日本の半分だが、首都チュニスのある北部は小高い丘に覆われた山岳地帯、中部はオリーブ畑の多い草原地帯、南部は大塩湖や砂漠が広がる乾燥地帯という変化に富んだ国である。
旅は首都チュニスから始まり、アルジェリアとの国境に近いトズール、サハラ大砂丘への入り口であるドゥーズ、砂漠のオアシスにあるクサール・ギレン、北アフリカの先住民族であるベルベル人が今も穴居住宅に住むマトマタ、チュニジア第二の都市といわれるスファックス、世界一保存状態の良いローマ時代のコロセウムがあるエル・ジェイム、北アフリカにおけるイスラム発祥の地ケロアン、そして「サヘルの真珠」と言われチュニジアを代表する一大観光地のスースであった。
簡略に言えば、北のチュニスから西側を南下しサハラ砂漠に行き、そこから東側に移行して北上しチュニスに変えるコースで、一応はチュニジアを一周してきたのではないかと思っている。
旅の時はちょうどラマダン(断食)にあたり、日の出から日没まで一切の物(タバコでさえ)を口にしない彼等は、夕暮れになると「さ〜、メシだ!」とばかりにメディナ(旧市街)の商店さえも観光客など目もくれず早々と店じまいしていた。
サハラ砂漠。 世界最大の砂漠で面積一千万平方キロ(日本37万平方キロ)。
そのホンノ片隅を、ラクダに乗って散歩(?)してきました。
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27カ国ほど旅をしたが、子供達に会えたのはほんの数カ国でした。
不思議なことに有名な観光地には子供たちはいない。
しかし、考えてみると日本の京都清水寺や東京銀座などには子供はいない。
子供たちに会うには、観光地を歩くのではなく地に足をつけた旅でなければ無理なのだ。
そんな旅をしなかったので、子供たちに会えたのは必然的に限られた国だけであった。
確かなことは、子供たちの笑顔が旅の疲れを癒してくれる最高の良薬ということである。
一昨日のネパールを襲った地震で亡くなった人たちに、深い哀悼の意を表します。
この子を含めた子供達が、無事であるよう祈るばかりです。
ネパールは日本の東日本大震災の時に、毛布を数千枚送ってくれたそうです。失礼ながら裕福とは言えない国だけに、その行為に頭が下がります。
この恩を忘れず、日本は出来る限りの資金的にも人為的にも援助をすべき。
この一文は、ネパールの地震後に記しました。
キュートな女の子。何を考えているのかな、ことによると将来は女性ライダー?。(カトマンズ・ネパール)