27カ国ほど旅をしたが、子供達に会えたのはほんの数カ国でした。
不思議なことに有名な観光地には子供たちはいない。
しかし、考えてみると日本の京都清水寺や東京銀座などには子供はいない。
子供たちに会うには、観光地を歩くのではなく地に足をつけた旅でなければ無理なのだ。
そんな旅をしなかったので、子供たちに会えたのは必然的に限られた国だけであった。
確かなことは、子供たちの笑顔が旅の疲れを癒してくれる最高の良薬ということである。
一昨日のネパールを襲った地震で亡くなった人たちに、深い哀悼の意を表します。
この子を含めた子供達が、無事であるよう祈るばかりです。
ネパールは日本の東日本大震災の時に、毛布を数千枚送ってくれたそうです。失礼ながら裕福とは言えない国だけに、その行為に頭が下がります。
この恩を忘れず、日本は出来る限りの資金的にも人為的にも援助をすべき。
この一文は、ネパールの地震後に記しました。
キュートな女の子。何を考えているのかな、ことによると将来は女性ライダー?。(カトマンズ・ネパール)
ちょっと気取って。この子はまだ小学生くらいかな、、、。(同)
とにかく、「可愛い」の一言です。(同)
カメラを向けるとポーズをとってくれた、セブンではないスリーシスターズ。(同)
ヒマラヤ山塊を背に、そのヒマラヤ山塊のポスターを売る少年。
拙者は買ってしまった。(ポカラ・ネパール)
余談ながら少年から買ったポスター。実際は90センチ近い横長のもので、値段は70ルピー(当時で150円)。
今はただの池としか見えないが、地中海の覇者と言われたカルタゴの軍艦220隻を係留することが出来たという嘗ての軍港。
竹の棒に釣り糸をつけただけの簡単な道具で、3人の子供が大物!を狙っていた。(チュニス・チュニジア)
白い小石を持って、「ワンデナ、ワンデナ」と言いながら寄ってきた少年。
小遣い稼ぎではなく、立派に生活費の一部を稼いでいるのだ。
1デナールをあげて写真を撮らせてもらった。
「夢を持ってほしい」そんなふうに思いながら彼と握手をした。彼の手は意外と大きく、そして暖かかった。
(マトマタ・チュニジア)
学校帰りの子供たち。
「どこから来たの?」と流暢な英語で聞かれた。こちらはブロークン・イングリッシュ。英語は義務教育とのことで、さすがと感心。
(サイモンズタウン・南ア)
満開のジャカランダも恥じらう、満面の笑顔を見せてくれた子供たち。
オリノコ川のマトゥリン船着場にて。
(ベネズエラ)
オリノコ川流域にある小学校を訪ねた。
この世の中に、この子供たちの笑顔に適うものは何も無いだろう。
(オリノコ川・ベネズエラ)
インディオの家庭を訪問。
総体的に子沢山らしいが、(この時点で)約2割は病気で亡くなってしまうとのことだ。
キラキラ光る目が、いつまでも輝いていてほしいと思った。(同)
大物を狙う。(同)
ローカル空港にいた子供たち。(エルパ・ベネズエラ)
マサイ族の子供。
習いたてのスワヒリ語で「ジナラコナニ(名前は?)」と聞いたが、通じなかったのか恥ずかしげな顔をしただけだった。
余りにも可愛いので、思わずホッペを軽くつねってしまった。
(マサイマラ・ケニア)
こちらは女の子。お菓子をあげると「アサンテ(スワヒリ語のアリガト)」と小さな声で言った。
では、最後に日本の子供たち。
日本の子供たちには肖像権(?)があるので、川で遊ぶ子供たちの靴だけ。