3月 062016
最終更新日: 2019/08/25
 


ベネズエラは南米の北部に位置し、南米大陸の中でも屈指の大自然の宝庫と言われている。
この国の日本語での正式名は、ベネズエラ・ボリバル共和國。
ボリバルはラテン・アメリカの解放者であるシモン・ボリバルからきているが、ベネズエラの名称は諸説あるとのこと。
その一つに、1499年に2人のスペイン人探検家がマラカイボ湖畔に並び立つインディオの水上部落を見て、水の都と言われるイタリアのベネティアに見立て「ちっぽけなベネティア」と言ったことからという説。
仮にそうであれば、実際にベネズエラに行ってみると確かに雨量も多く幾つもの大河があった。
この旅は、その大河の一つであるオリノコ川を遡り上流のオリノコ・デルタ・ロッジに2泊して、ジャングル探検(それほどでもないが)をすること。

もう一つは、グランサバンナにあるソロンパンテプイ(眠る人という意味だそうである)の麓にある、満天の星空と異様な景観を見ることができるカバナヤン村へ。

尚、この旅の後に行った「ギアナ高地」は別に作りました。

 先ずは、オリノコ川のクルーズ。
オリノコとは原住民(クラオ族)の言葉で「父なる大地」を意味するそうだが、この一帯は1991年にオリノコ州としてベネズエラ22番目の州となたそうである。

そこに位置するオリノコ川は 、全長が利根川の6倍に相当する 2500㎞で、アマゾン川ラプラタ川に次いで南米大陸では第三の大河。

クルーズの出発点は、マトゥリンという場所のウラコア港。
港と言っても幹線道路に近いというだけで、特別な設備もなく地元の人たちが魚などを売っていた。

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周囲はジャングルであり、大河はインディオの皆さんにはハイウエイ。
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ヤマハ75馬力の船外エンジンをツインで装着したボートは、浮草をかき分けて時速50キロのスピードで疾走。
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覚えたての言葉で「オラ!」(こんにちは)と叫ぶが、エンジン音で彼らには聞こえないようだ。
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近道なのか、支流に入ってさらに疾走。

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約40分ほどして、やっと オリノコ・デルタ・ロッジに到着。
ここには電話もテレビもなく、もちろんスマホも通じない。まさに、大自然の中のロッジ。
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ボートが止まると、静寂の世界。
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浮草の花が咲いていた。

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宿はジャングルの中に建つ山小屋風の建物。

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部屋まで案内してくれるのは、可愛い子猫。

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網で囲まれた鳥籠のような内部。
この後にスコールが来て、慌ててベッドを移動した。
猛烈な湿度で、洗濯物は1日中干しても乾かなかった。
 翌日の朝。
探検(?)に出かけようとすると、又もやスコール。ま、ゆっくり行きましょう。

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スコールはすぐに上がり、虹が出てきた。

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インディオの人達が、土産物の店びらき。
拙者は写真を撮らせてもらう代わりに、似合わないネックレスを買ってしまった。
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川では子供が釣りをしている。このスタイルならば、スコールが来ても問題なし。

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さ〜探検に出発!と思ったら、又もやスコール。確かに水の国である。
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さて、ジャングル探検である。
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木の名は忘れたが、切ると水が出てくる。
飲むと痩せると聞いて Pamiは勇んで挑戦。しかし、(現時点で判断すると)余り効能はないようである。
拙者は木からアルコールが出たら、ここに永住したかもしれない。

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針先に生肉をつけた竿で、獰猛な魚ピラニア釣り。
ガイドのインディオの人は釣ったが、我々は釣れなかった。

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帰りにインディオの 家庭を訪問。
川岸に作った小屋で昼食の準備が進んでいて、美味そうな匂いが周囲に漂っていた。

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目の前のオリノコ川で釣った鯰のような魚。
横にある熟れていないバナナは、茹でて食べるのだ。ロッジで食べたがイケる味だった。
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デジカメの液晶画面で、撮ったばかりの自分たちの写真を覗き込む子供たち。
ここで撮った子供達の写真は「旅先で出会った子どもたち」と題して別に貼り付けました。
そこにも書きましたが、子どもたちの笑顔は旅の疲れを癒してくれる最高の良薬である。

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オリノコ・デルタの学校。ここの可愛い子供達も、別の「旅先で出会った子どもたち」に貼り付けました。

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 次は、グランサバンナにあるカバナヤン村へ。
幹線道路にあった標識に、カバナヤンまで96キロとある。時速50キロとすると2時間くらいか。
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ところが、幹線道路から横道へ。これでは2時間どころか、、、、。
どうやら目的地は、遥か彼方に見えるテプイ(卓上大地)の麓らしい。

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 少し前後するが、旅の行程で見た風景。
後方にエンジェル・フォールが流れ落ちるアウンヤン・テプイが見える畑で、インディオの人たちが畑仕事をしていた。
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インディオの村に干されている、彼らの主食である一種のパン。
ユカという芋を擦り、有毒な成分を含む液を絞り出して粉状にし、鉄板で丸く伸ばして天日干しにするのだ。
カサーベと言われる食べ物だが、これに煮魚や野菜を挟んで食べる。我々もロッジで食べたが、意外と美味かった。

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「ハスペの谷」。
ハスペとは「碧玉(へきぎょく)の一種で。鉄などの不純物を20%ほど含むので赤い岩で出来ているとのこと。
現地のガイドが裸になり、お腹を膨らませてス〜っと滑る腹スキーを見せてくれた。岩が滑らかな証拠。
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腹スキーの次は、崖の上から飛び込みのパフォーマンス。

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更に、50m以上の高さのある橋から、胸に十字を切って下の川に飛び込んだ。
彼は上がってきて「貴方もトライしてみるか」と言うので、冗談に「OK」と言いながら服を脱ぎ始めると彼は慌てて「 ノー、ノー」と制止した。
上から見ると怖い。彼らの、我々へのサービス精神 は旺盛である。

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「カマの滝」
水が二つに分かれて落ちているため「双子の滝」ともよばれている。
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ドアップ。
この場所で、「価値ある宝」と言われるジャスパー(赤い貴石」が採れるので、ペモン族の人がペンダントにして売っていた。

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以降の滝の名は忘却。
とにかく、アクア・フリアの滝(冷たい水)、ユルアニの滝、パチェコの滝など多くの滝を回ったので、、、、。
ン十年分の滝を見てしまったようで、この夜は滝に落ちた夢を見てしまった。
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さて、初めに戻ってカバナヤン村に向かう行程。
「道なき道を行く」とはこのことで、時速ナント6キロ。
何処まで行くのか、正直言って不安になってきた。
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6時間かかり、やっと着いた夕暮れのカバナヤン村ロッジである、マントパイ・キャンプ(MANTOPAI CAMP)

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 今夜の豪華ホテルの前で。

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その内部。天井裏にツバメが巣を作っていたが、彼らの方が先住民。

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翌日の朝。あの建物がレストラン。

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レストランにて、ドライバーでありガイドであり更に飛び込みの名人であるベネトン君と記念撮影。

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ロッジ前にある、ソロンパン・テプイ。

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曇り空で満天の星もみられず、少しばかり疲れただけの遠征だったような気がした。
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 Posted by at 10:07 AM


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